障害年金受給への道のりと、その後の生活

パートナーの発達障害当事者が障害年金を受給するまでの道のりとその後の生活について綴っていきます

これが最後の投稿になると思います。

前回の投稿からかなり時間が空いてしまいました。

残念ながらポンさんとは完全に縁を切ることに決めました。

ポンさんの人生を背負って生きれるほどの甲斐性が

私にはありませんでした。

今までの出来事を正直に綴ります。

 

まず一緒に暮らしていた時に、

家賃や光熱費は1円も出して貰えず、

食費は月に8千円程度。

この物価高のご時世で8千円だと一人分にもなりません。

でも本人は十分に出しているつもりだったようです。

私は働いていたものの、

ある目的の為にお金を貯めなければならず、

一緒に住む前に目的を達成するまでは養えませんと

伝えていました。

きっとそれも覚えてはいないのでしょうね。

ここまでならまだ我慢出来ました。

でも水道代や電気代が一人の時より上がった時に

本人に少し節約して欲しいと伝えました。

すると・・・怒り出して暴力を振るうのです。

元々格闘技をやっていたポンさんに

私は抵抗するすべもなくやられっぱなしです。

これも発達障害の影響だと我慢していました。

発達障害の影響なので暴力も恐らく

永遠に続くのでしょう・・・。

それ以外の時も週1回は暴力はありましたが、

ポンさんの大事な用事には有休を使って付き添ったりと

尽くしてきたつもりでした。

しかし長く続くはずもなく、精神的にも疲れてしまいました。

お風呂のドアを壊されたり、

家の壁に穴をあけられたり、

マンションの下の人から足音がうるさいと苦情が来たり。

私の我慢は限界に達しました・・・。

私が養ってもらっている立場であれば

我慢してでも一緒に暮らしていくしか選択肢はなかったのかもしれないです。

しかし養っていたのに、

ここまでされて私は一生我慢して生きていかないといけないのか。

1人でも生きていける経済力が私にはあったので、

なんとかしてポンさんと離れないといけないと思いました。

 

色々なニュースを見ていたので、

本人に納得させた状態で出て行ってもらえるように

頑張りました。

恨まれて、逆上されると命も危ういと思ったからです。

それでも精神的に限界だった私は

上手に対応できていたのか今となっては分からないです。

 

発達障害の人が増えてきているこの社会で

きっと当事者も家族も関係者も疲弊しているのだと思います。

当事者を守るために家族やパートナーは

人権侵害されてもいいのでしょうか・・・。

私には耐えられませんでした。

これは私の我慢が足りないからでしょうか・・・・。

 

暴力の件に関して

ポンさんに了承を得てポンさんの診察の時に

主治医に話したことがありましたが、

びっくりするぐらい他人事でした。

話すのにどれだけ勇気がいったでしょうか…

話す場所が悪かったのか、あくまでも先生の患者はポンさんであって私ではなかったんでしょうね。

その診察の後も了承を得ていたのに

待合室で怒り始め私を脅してくる始末。

もう本当に何もかもが嫌になりました。

 

今は本当に平和で穏やかな日々を送っています。

自分で稼いで自分の為にお金を貯めて、

自分の為に投資もして。

これで良かったのだと私は思います。

 

やはりポンさんのことが心配になることもありますが、

本人が発達障害のことを深く理解できず、

自分の重症度を認知していないので、

この先も変わることはないのだろうなと思います。

そこに関わって生きていけるほど私はお人良しではなかった。

まだまだやりたいことも沢山あります。

その目標に向かって自分の為だけに生きていきたい。

 

読んでくれている方々も

誰かのために生き続けるだけの人生より

自分の人生を生きて欲しいと思います。

 

今までありがとうございましたm(__)m