障害年金受給への道のりと、その後の生活

パートナーの発達障害当事者が障害年金を受給するまでの道のりとその後の生活について綴っていきます

3回目の受診(診断結果判明)

前回は2回目の受診で実施した

検査内容について綴りました。

今回はその結果について綴りたいと思います。

 

1回目の受診で発達障害の疑いありと診断

2回目の受診で知能検査とADHDの症状の重症度を把握する検査を実施

3回目の受診で検査結果と診断を聞く

 

約3年前のことなので、

ほとんど記録が残っておらずほぼ私の記憶での記載となりますが、

お許し下さい。

 

3回目の受診は本当に緊張しました。

私はポンさんが発達障害であると自信を持っていましたが、

検査の結果、違うということが判明すると

ポンさんのプライドを傷つけ、

恐らく縁を切られてしまうだろうと

そこまで覚悟して受診に行きました。

私以外のポンさんの家族は、

ただの性格であって、

障害なんかあるわけないと言っていたし、

本人も障害などあるはずがないと思っていました。

 

そして診察室へ呼ばれました。

その結果、

ポンさんには

ADHDASDとの診断が下りました。

ポンさんにとっては寝耳に水だったと思います。

私はポンさんには失礼ですが、

本当に安心したのを覚えています。

ポンさんが今まで生きづらかったのは、

発達障害のせいだったのだと分かったからです。

もちろん診断されたからといって、

何かが変わるわけではないのですが、

原因が判明したということは、

原因は取り除けなくても、

何かしら対策をすれば少しは生きやすくなるはずだ、

と思いました。

検査の結果は保管しているはずなのですが、

見つからず詳細を記載することは出来ませんが、

グレーゾーンではなく、はっきりと診断され、

本当に安堵したことを覚えています。

ただ病院の帰りにポンさんに何と話しかけたらよいのか

しばらく沈黙が続きました。

本人は診断されてもなお、自覚出来ていなさそうでした。

少し覚えていることといえば、

「ワーキングメモリー」が低いため、

マルチタスクが出来ないこと、

仕事の時にはメモをとったり、

マニュアルが必要であるということが判明しました。

 

また去年一時的に実家に戻った時に、

別の病院で「MSPA(心理検査)」を受け、

その結果は

「集団のルールに合わせることが苦手で、

カッとなった時に感情を抑えられない、」

という二つの特性が

特に人間関係のトラブルに影響しているとの結果が出ました。

1対1の会話は出来るのですが、

3人以上になると話せなくなってしまったり、

考えて行動するよりも、

突発的に行動してしまうので、失敗が多い。

そして高校生の頃から睡眠障害があり、

現在も十分な睡眠がとれていない。

3年前から睡眠薬を処方してもらっていますが、

満足な睡眠は得られていないのが現状です。

現在は

アトモキセチン

インチュニブ

デエビゴ(睡眠薬

を飲んでいますが、

効果が出ているのかはよく分かりません。

睡眠薬のおかげで、

寝つきは少しは良いみたいですが、

すぐに目が覚めてしまうみたいです・・・。

ただASDに関しては現在も有効な治療薬はなく、

自分自身でなんとかするしかないのが現状です。

 

自分の特性が判明した今でも、

自分自身では対策は立てられず、

私との共同生活でも

些細なルールを守ることが苦手で、

私も余裕がなくなってしまうと、

ケンカになることもしばしば・・・。

本当に発達障害は子どもの頃からの療育が

重要なのだと痛感しています。

 

大人になってしまってから判明すると、

修正は極めて困難で、

1人では暮らせないけれど、

誰かと暮らすのにも細かなルールが覚えられず、

本人も同居人も疲弊します。

 

毎回愚痴になってしまっていますが、

同じような思いをしている人の参考に

少しでもなったら良いなと思って書いています。

 

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

やすこ